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Posted by だてBLOG運営事務局 at

2014年08月16日

宮沢賢治と信仰の世界

宮沢賢治の生涯を通じて、宗教とは切っても切り離せません。

賢治は、浄土真宗、国柱会(法華宗)、キリスト教など、

多くの宗教と関わりを持っています。

 by archer10(Dennis)

~インドラの網~

 そのとき私は大へんひどく疲れていてたしか風と草穂との底に倒れていたのだとおもいます。

 その秋風の昏倒の中で私は私の錫いろの影法師にずいぶん馬鹿ていねいな別れの挨拶を

やっていました。

 そしてただひとり暗いこけももの敷物を踏んでツェラ高原をあるいて行きました。

 こけももには赤い実もついていたのです。

 白いそらが高原の上いっぱいに張って高陵産の磁器よりもっと冷たく白いのでした。

 希薄な空気がみんみん鳴っていましたがそれは多分は白磁器の雲の向うをさびしく渡った

日輪がもう高原の西を画る黒い尖々の山稜の向うに落ちて薄明が来たためにそんなに軋んで

いたのだろうとおもいます。

 私は魚のようにあえぎながら何べんもあたりを見まわしました。

 ただ一かけの鳥も居ず、どこにもやさしい獣のかすかなけはいさえなかったのです。

 (私は全体何をたずねてこんな気圏の上の方、きんきん痛む空気の中をあるいているのか。)

 私はひとりで自分にたずねました。

 こけももがいつかなくなって地面は乾いた灰いろの苔で覆われところどころには赤い苔の

花もさいていました。けれどもそれはいよいよつめたい高原の悲痛を増すばかりでした。

 そしていつか薄明は黄昏に入りかわられ、苔の花も赤ぐろく見え西の山稜の上のそら

ばかりかすかに黄いろに濁りました。

 そのとき私ははるかの向うにまっ白な湖を見たのです。

 (水ではないぞ、また曹達や何かの結晶だぞ。いまのうちひどく悦んで欺されたとき力を

落としちゃいかないぞ。) 私は自分で自分に言いました。

 それでもやっぱり私は急ぎました。

 湖はだんだん近く光ってきました。間もなく私はまっ白な石英の砂とその向うに音なく湛える

ほんとうの水とを見ました。

 砂がきしきし鳴りました。私はそれを一つまみとって空の微光にしらべました。すきとおる

複六方錐の粒だったのです。

 (石英安山岩か流紋岩から来た。)

 私はつぶやくようにまた考えるようにしながら水際に立ちました。

 (こいつは過冷却の水だ。氷相当官なのだ。) 私はも一度こころの中でつぶやきました。

 全く私のてのひらは水の中で青じろく燐光を出していました。

 あたりが俄にきいんとなり、(風だよ、草の穂だよ。ごうごうごうごう。) こんな語が私の頭の

中で鳴りました。まっくらでした。まっくらで少しうす赤かったのです。

 私はまた眼を開きました。

 いつの間にかすっかり夜になってそらはまるですきとおっていました。素敵に灼きをかけら

れてよく研かれた鋼鉄製の天の野原に銀河の水は音なく流れ、鋼玉の小砂利も光り岸の

砂も一つぶずつ数えられたのです。

 またその桔梗いろの冷たい天盤には金剛石の劈開片や青宝玉の尖った粒やあるいは

まるでけむりの草のたねほどの黄水晶のかけらまでごく精巧のピンセットできちんとひろわれ

きれいにちりばめられそれはめいめい勝手に呼吸し勝手にぷりぷりふるえました。

 私はまた足もとの砂を見ましたらその砂粒の中にも黄いろや青や小さな火がちらちら

またたいているのでした。恐らくはそのツェラ高原の過冷却湖畔も天の銀河の一部と思われ

ました。  


by djandyw.com

 けれどもこの時は早くも高原の夜は明けるらしかったのです。

 それは空気の中に何かしらそらぞらしい硝子の分子のようなものが浮かんできたのでも

わかりましたが第一東の九つの小さな青い星で囲まれたそらの泉水のようなものが大へん

光が弱くなりそこの空は早くも鋼青から天河石の板に変わっていたことから実にあきらか

だったのです。

 その冷たい桔梗色の底光りする空間を一人の天が翔けているのを私は見ました。

 (とうとうまぎれ込んだ、人の世界のツェラ高原の空間から天の空間へふっとまぎれこんだのだ。)

私は胸を躍らせながらこう思いました。

 天人はまっすぐに翔けているのでした。

 (一瞬百由旬を飛んでいるぞ。けれども見ろ、少しも動いていない。少しも動かずに移らずに

変わらずにたしかに一瞬百由旬ずつ翔けている。実にうまい。) 私はこうつぶやくように

考えました。

 天人の衣はけむりのようにうすくその瓔珞は昧爽の天盤からかすかな光を受けました。

 (ははあ、ここは空気の稀薄がほとんど真空に均しいのだ、だからあの繊細な衣のひだを

ちらっと乱す風もない。) 私はまた思いました。


 天人は紺いろの瞳を大きく張ってまたたき一つしませんでした。その唇は微かに哂い

まっすぐにまっすぐに翔けていました。けれども少しも動かず移らずまた変わりませんでした。

 (ここではあらゆる望みがみんな浄められている。願いの数はみな寂められている。

重力は互に打ち消され冷たいまるめろの匂いが浮動するばかりだ。だからあの天衣の

紐も波立たずまた鉛直に垂れないのだ。)

 けれどもそのとき空は天河石からあやしい葡萄瑪瑙の板に変りその天人の翔ける姿を

もう私は見ませんでした。

 (やっぱりツェラの高原だ。ほんの一時のまぎれ込みなどは結局あてにならないのだ。)

こう私は自分で自分に誨えるようにしました。けれどもどうもおかしいことはあの天盤の

つめたいまるめろに似たかおりがまだその辺に漂っているのでした。そして私はまた

ちらっとさっきのあやしい天の世界の空間を夢のように感じたのです。

 (こいつはやっぱりおかしいぞ。天の空間は私の感覚のすぐ隣りに居るらしい。みちを

あるいて黄金いろの雲母のかけらがだんだんたくさん出て来ればだんだん花崗岩に

近づいたなと思うのだ。ほんのまぐれあたりでもあんまりたびたびになるととうとうそれが

ほんとになる。きっと私はもう一度この高原で天の世界を感ずることができる。) 私は

ひとりでこう思いながらそのまま立っておりました。

 そして空から瞳を高原に転じました。全く砂はもうまっ白に見えていました。湖は緑青

よりももっと古びその青さは私の心臓まで冷たくしました。

 ふと私は私の前に三人の天の子供らを見ました。それはみな霜を織ったような羅をつけ

すきとおる沓をはき私の前の水際に立ってしきりに東の空をのぞみ太陽の昇るのを待って

いるようでした。その東の空はもう白く燃えていました。私は天の子供らのひだのつけよう

からそのガンダーラ系統なのを知りました。またそのたしかに于闐大寺の廃趾から発掘

された壁画の中の三人なことを知りました。私はしずかにそっちへ進み愕かさないように

ごく声低く挨拶しました。

 「お早う。于闐大寺の壁画の中の子供さんたち。」

 三人一緒にこっちを向きました。その瓔珞のかがやきと黒い厳めしい瞳。

 私は進みながらまたいいました。

 「お早う。于闐大寺の壁画の中の子供さんたち。」

 「お前は誰だい。」

 右はじの子供がまっすぐに瞬もなく私を見て訊ねました。

 「私は于闐大寺を沙の中から掘り出した青木晃というものです。」

 「何しに来たんだい。」 少しの顔色もうごかさずじっと私の瞳を見ながらその子はまた

 こういいました。

 「あなたたちと一緒にお日さまをおがみたいと思ってです。」

 「そうですか。もうじきです。」 三人は向うを向きました。瓔珞は黄や橙や緑の針のような

みじかい光を射、羅は虹のようにひるがえりました。

 そして早くもその燃え立った白金のそら、湖の向うの鶯いろの原のはてから熔けたような

もの、なまめかしいもの、古びた黄金、反射炉の中の朱、一きれの光るものが現われました。

 天の子供らはまっすぐに立ってそっちへ合掌しました。

 それは太陽でした。厳かにそのあやしい円い熔けたようなからだをゆすり間もなく正しく

空に昇った天の世界の太陽でした。光は針や束になってそそぎそこらいちめんかちかち

鳴りました。

 天の子供らは夢中になってはねあがりまっ青な寂静印の湖の岸硅砂の上をかけまわりました。

そしていきなり私にぶっつかりびっくりして飛びのきながら一人が空を指して叫びました。

 「ごらん、そら、インドラの網を。」

 私は空を見ました。いまはすっかり青ぞらに変ったその天頂から四方の青白い天末まで

いちめんはられたインドラのスペクトル製の網、その繊維は蜘蛛のより細く、その組織は菌糸

より緻密に、透明清澄で黄金でまた青く幾億互に交錯し光って顫えて燃えました。

 「ごらん、そら、風の太鼓。」 も一人がぶっつかってあわてて遁げながらこういいました。

ほんとうに空のところどころマイナスの太陽ともいうように暗く藍や黄金や緑や灰いろに光り

空から陥ちこんだようになり誰も敲かないのにちからいっぱい鳴っている、百千のその天の

太鼓は鳴っていながらそれで少しも鳴っていなかったのです。私はそれをあんまり永く見て

眼も眩くなりよろよろしました。


 「ごらん、蒼孔雀を。」 さっきの右はじの子供が私と行きすぎるときしずかにこういいました。

まことに空のインドラの網のむこう、数しらず鳴りわたる天鼓のかなたに空一ぱいの不思議な

大きな蒼い孔雀が宝石製の尾ばねをひろげかすかにクウクウ鳴きました。その孔雀はたしかに

空には居りました。けれども少しも見えなかったのです。たしかに鳴いておりました。けれども

少しも聞えなかったのです。

 そして私は本統にもうその三人の天の子供らを見ませんでした。

 却って私は草穂と風の中に白く倒れている私のかたちをぼんやり思い出しました。(終)



 インドラとは、帝釈天のことで、須弥山の忉利天に住むといわれています。

インドラの城の屋根には美しい玉の付いた網があり、網の結び目のその宝珠は、

それぞれの宝珠がすべての宝珠を写しており、その網は全世界を覆っているそうです。

 賢治は妹のトシとともに病弱であり、常に死と隣り合わせに生きていました。

 この「インドラの網」は、賢治の死生感により、実在の世界と神や仏の世界とが

常に混合して語られています。賢治は、臨終の間際、「南無妙法蓮華経」と絶叫して

絶命したと伝えられています。

 しかしながら、この作品についてみると、宗教者としての視点から書かれている

というよりも、賢治の死生感から感じた寓話の中に宗教を取り入れているという

ふうにいえるのではないでしょうか。

 賢治の純粋な信仰に合掌  


Posted by ジョバンニ at 18:01Comments(0)宗教者としての宮沢賢治

2013年12月19日

宮沢賢治と地球温暖化



 「地球温暖化」という言葉が叫ばれるようになって久しい。

人間活動が主たる原因によって、地球の気温が上昇し、異常気象や

極地の永久氷の融解による海面の上昇、P.M2.5の発生等。

温暖化を止める努力はなされているものの、先進国と発展途上国との

思惑の違いもあり、その努力は遅々として進まず、生態系が急速に破壊されてきている

現在の状況は、自然の復元力が追い付かなくなっている可能性が高い。


 もっとも、地球温暖化の善悪を論じるのが本サイトの目的ではない。

温暖化の原因は、人間活動による二酸化炭素(炭酸ガス)の増加だと

考えられているが、80年以上も前に、宮沢賢治は、この二酸化炭素が

温暖化の原因だと、いち早く見抜いていた。


 ただ、賢治の故郷のイーハトーブでは、当時は冷害に苦しむ状況が

常であった。農民を助けたいという思いがこの作品を生んだのだろう。


 ・・・そしてちょうどブドリが二十七の年でした。どうもあの恐ろしい寒い気候が

また来るような模様でした。測候所では、太陽の調子や北のほうの海の氷の

様子から、その年の二月にみんなへそれを予報しました。それが一足ずつ

だんだんほんとうになって、こぶしの花が咲かなかったり、五月に十日も

みぞれが降ったりしますと、みんなはもうこの前の凶作を思い出して、生きた

そらもありませんでした。クーボー大博士も、たびたび気象や農業の技師たちと

相談したり、意見を新聞へ出したりしましたが、やっぱりこの激しい寒さだけは

どうともできないようすでした。

 ところが六月もはじめになって、まだ黄いろなオリザの苗や、芽を出さない

木を見ますと、ブドリはもういても立ってもいられませんでした。このまま過ぎる

なら、森にも野原にも、ちょうどあの年のブドリの家族のようになる人がたくさん

できるのです。ブドリはまるで物も食べずに幾晩も幾晩も考えました。ある晩

ブドリは、クーボー大博士のうちをたずねました。

「先生、気層のなかに炭酸ガスがふえてくれば暖かくなるのですか。」

「それはなるだろう。地球ができてからいままでの気温は、たいてい空気中の

炭酸ガスの量できまっていたと言われるくらいだからね。」

「カルボナード火山島が、いま爆発したら、この気候を変えるくらいの炭酸ガス

を噴くでしょうか。」

「それは僕も計算した。あれがいま爆発すれば、ガスはすぐ大循環の上層の

風にまじって地球ぜんたいを包むだろう。そして下層の空気や地表からの熱

の放散を防ぎ、地球全体を平均で五度ぐらい暖かくするだろうと思う。」

「先生、あれを今すぐ噴かせられないでしょうか。」

「それはできるだろう。けれども、その仕事に行ったもののうち、最後の一人

はどうしても逃げられないのでね。」

「先生、私にそれをやらしてください。どうか先生からペンネン先生へお許しの


出るようおことばをください。」

「それはいけない。きみはまだ若いし、いまのきみの仕事にかわれるものは

そうはいない。」

「私のようなものは、これからたくさんできます。私よりもっともっとなんでも

できる人が、私よりもっと立派にもっと美しく、仕事をしたり笑ったりして行く

のですから。」

「その相談は僕はいかん。ペンネン技師に話したまえ。」

 ブドリは帰って来て、ペンネン技師に相談しました。技師はうなずきました。

「それはいい。けれども僕がやろう。僕はことしもう六十三なのだ。ここで死ぬ

なら全く本望というものだ。」

「先生、けれどもこの仕事はあんまり不確かです。一ぺんうまく爆発しても

まもなくガスが雨にとられてしまうかもしれませんし、また何もかも思ったとおり

いかないかもしれません。先生が今度おいでになってしまっては、あとなんとも

くふうがつかなくなると存じます。」

 老技師はだまって首をたれてしまいました。

 それから三日の後、火山局の船が、カルボナード島へ急いで行きました。そこへ

いくつものやぐらは建ち、電線は連結されました。

 すっかりしたくができると、ブドリはみんなを船で帰してしまって、じぶんは一人

島に残りました。

 そしてその次の日、イーハトーブの人たちは、青ぞらが緑いろに濁り、日や月が

銅いろになったのを見ました。

 けれどもそれから三四日たちますと、気候はぐんぐん暖かくなってきて、その秋は

ほぼ普通の作柄になりました。そしてちょうど、このお話のはじまりのようになるはずの

たくさんのブドリのおとうさんやおかあさんは、たくさんのブドリやネリといっしょに、

その冬を暖かいたべものと、明るい薪で楽しく暮らすことができたのでした。

              ~「グスコーブドリの伝記より」~



 賢治の科学者としての先見性と、人々への暖かい眼差しに脱帽せざるをえません  


Posted by ジョバンニ at 16:02Comments(0)科学者としての宮沢賢治

2013年09月13日

宮沢賢治の清明な精神




眼にて云う

 だめでしょう
 とまりませんな
 がぶがぶ湧いているですからな
 ゆうべからねむらず血も出つづけなもんですから
 そこらは青くしんしんとして
 どうも間もなく死にそうです
 けれどもなんといい風でしょう
 もう清明が近いので
 あんなに青ぞらからもりあがって湧くように
 きれいな風が来るですな
 もみじの嫩芽と毛のような花に
 秋草のような波をたて
 焼痕のある藺草のむしろも青いです
 あなたは医学会のお帰りか何かは知りませんが
 黒いフロックコートを召して
 こんなに本気にいろいろ手あてもしていただけば
 これで死んでもまずは文句もありません
 血がでているにかかわらず
 こんなにのんきで苦しくないのは
 魂魄なかばからだをはなれたのですかな
 ただどうも血のために
 それを云えないがひどいです
 あなたの方からみたらずいぶんさんたんたるけしきでしょうが
 わたくしから見えるのは
 やっぱりきれいな青ぞらと
 すきとおった風ばかりです


 
 昭和3年(1928年)、賢治32歳の夏

 ひでりによる不作、稲熱病の発生のため、その予防と駆除

 の指導に奔走し体力を奪われる。

 8月10日肺浸潤のため、実家で40日間床に臥せることになる。

 発熱のため意識がもうろうとしているのであろうか。

 自己の病状を客観的にみているようであるが、

 本人からみえるのは、きれいな青ぞらとすきとおった風ばかりか・・・  


Posted by ジョバンニ at 15:54Comments(0)宮沢賢治の詩

2013年08月12日

宮沢賢治の豊饒の世界



宮沢賢治は、その37年の生涯の中で、実に数多くの詩を書いています。

それは、多種、多様、多作であり、賢治の魂が奔流のように溢れ出て

その思いが具現化されたものでした。まことに豊かな感性の世界が

そこにあります。


まあこのそらの雲の量と

きみのおもいとどっちが多い

その複雑なきみの表情を見ては

ふくろうでさえ遁げてしまう

清貧と豪奢はいっしょにこない


複雑な表情を雲のように湛えながら

かれたすずめのかたびらをふんで

そういうふうに行ったり来たりするのも

たしかに一度はいいことだな

どんより曇って

そして西から風がふいて

松の梢はざあざあ鳴り

鋸の歯もりんりん鳴る

きみ 鋸は楽器のうちにあったかな


清貧と豪奢は両立せず

いい芸術と恋の勝利は一緒に来ない

労働運動の首領にもなりたし

あのお嬢さんとも

行末永くつき合いたい

そいつはとてもできないぜ
   ~作品番号、日付いずれも不詳


一生独身をとおした、賢治の失恋の詩でしょうか。  


Posted by ジョバンニ at 22:32Comments(0)宮沢賢治の詩

2013年08月02日

宮沢賢治と水




「宮沢賢治をめぐる冒険~水や光や風のエコロジー」 高木仁三朗 著は、

賢治の水に対する思いと、作品の中での水との関わりを

鋭い視点で描いています。水質汚染の恐ろしさとともに、未来に

向けての賢治の希望も感じることができます。


日本の水資源、特に東北地方の水資源はかけがえのないものです。

賢治は、「銀河鉄道の夜」の中で~銀河の水はガラスよりも水素よりも

透き通っている~といっています。

このような美しい水を我々の未来に残したいものです・・・   


Posted by ジョバンニ at 16:00Comments(0)水環境の大切さ