2013年09月13日
宮沢賢治の清明な精神
眼にて云う
だめでしょう
とまりませんな
がぶがぶ湧いているですからな
ゆうべからねむらず血も出つづけなもんですから
そこらは青くしんしんとして
どうも間もなく死にそうです
けれどもなんといい風でしょう
もう清明が近いので
あんなに青ぞらからもりあがって湧くように
きれいな風が来るですな
もみじの嫩芽と毛のような花に
秋草のような波をたて
焼痕のある藺草のむしろも青いです
あなたは医学会のお帰りか何かは知りませんが
黒いフロックコートを召して
こんなに本気にいろいろ手あてもしていただけば
これで死んでもまずは文句もありません
血がでているにかかわらず
こんなにのんきで苦しくないのは
魂魄なかばからだをはなれたのですかな
ただどうも血のために
それを云えないがひどいです
あなたの方からみたらずいぶんさんたんたるけしきでしょうが
わたくしから見えるのは
やっぱりきれいな青ぞらと
すきとおった風ばかりです
昭和3年(1928年)、賢治32歳の夏
ひでりによる不作、稲熱病の発生のため、その予防と駆除
の指導に奔走し体力を奪われる。
8月10日肺浸潤のため、実家で40日間床に臥せることになる。
発熱のため意識がもうろうとしているのであろうか。
自己の病状を客観的にみているようであるが、
本人からみえるのは、きれいな青ぞらとすきとおった風ばかりか・・・