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Posted by だてBLOG運営事務局 at

2013年12月19日

宮沢賢治と地球温暖化



 「地球温暖化」という言葉が叫ばれるようになって久しい。

人間活動が主たる原因によって、地球の気温が上昇し、異常気象や

極地の永久氷の融解による海面の上昇、P.M2.5の発生等。

温暖化を止める努力はなされているものの、先進国と発展途上国との

思惑の違いもあり、その努力は遅々として進まず、生態系が急速に破壊されてきている

現在の状況は、自然の復元力が追い付かなくなっている可能性が高い。


 もっとも、地球温暖化の善悪を論じるのが本サイトの目的ではない。

温暖化の原因は、人間活動による二酸化炭素(炭酸ガス)の増加だと

考えられているが、80年以上も前に、宮沢賢治は、この二酸化炭素が

温暖化の原因だと、いち早く見抜いていた。


 ただ、賢治の故郷のイーハトーブでは、当時は冷害に苦しむ状況が

常であった。農民を助けたいという思いがこの作品を生んだのだろう。


 ・・・そしてちょうどブドリが二十七の年でした。どうもあの恐ろしい寒い気候が

また来るような模様でした。測候所では、太陽の調子や北のほうの海の氷の

様子から、その年の二月にみんなへそれを予報しました。それが一足ずつ

だんだんほんとうになって、こぶしの花が咲かなかったり、五月に十日も

みぞれが降ったりしますと、みんなはもうこの前の凶作を思い出して、生きた

そらもありませんでした。クーボー大博士も、たびたび気象や農業の技師たちと

相談したり、意見を新聞へ出したりしましたが、やっぱりこの激しい寒さだけは

どうともできないようすでした。

 ところが六月もはじめになって、まだ黄いろなオリザの苗や、芽を出さない

木を見ますと、ブドリはもういても立ってもいられませんでした。このまま過ぎる

なら、森にも野原にも、ちょうどあの年のブドリの家族のようになる人がたくさん

できるのです。ブドリはまるで物も食べずに幾晩も幾晩も考えました。ある晩

ブドリは、クーボー大博士のうちをたずねました。

「先生、気層のなかに炭酸ガスがふえてくれば暖かくなるのですか。」

「それはなるだろう。地球ができてからいままでの気温は、たいてい空気中の

炭酸ガスの量できまっていたと言われるくらいだからね。」

「カルボナード火山島が、いま爆発したら、この気候を変えるくらいの炭酸ガス

を噴くでしょうか。」

「それは僕も計算した。あれがいま爆発すれば、ガスはすぐ大循環の上層の

風にまじって地球ぜんたいを包むだろう。そして下層の空気や地表からの熱

の放散を防ぎ、地球全体を平均で五度ぐらい暖かくするだろうと思う。」

「先生、あれを今すぐ噴かせられないでしょうか。」

「それはできるだろう。けれども、その仕事に行ったもののうち、最後の一人

はどうしても逃げられないのでね。」

「先生、私にそれをやらしてください。どうか先生からペンネン先生へお許しの


出るようおことばをください。」

「それはいけない。きみはまだ若いし、いまのきみの仕事にかわれるものは

そうはいない。」

「私のようなものは、これからたくさんできます。私よりもっともっとなんでも

できる人が、私よりもっと立派にもっと美しく、仕事をしたり笑ったりして行く

のですから。」

「その相談は僕はいかん。ペンネン技師に話したまえ。」

 ブドリは帰って来て、ペンネン技師に相談しました。技師はうなずきました。

「それはいい。けれども僕がやろう。僕はことしもう六十三なのだ。ここで死ぬ

なら全く本望というものだ。」

「先生、けれどもこの仕事はあんまり不確かです。一ぺんうまく爆発しても

まもなくガスが雨にとられてしまうかもしれませんし、また何もかも思ったとおり

いかないかもしれません。先生が今度おいでになってしまっては、あとなんとも

くふうがつかなくなると存じます。」

 老技師はだまって首をたれてしまいました。

 それから三日の後、火山局の船が、カルボナード島へ急いで行きました。そこへ

いくつものやぐらは建ち、電線は連結されました。

 すっかりしたくができると、ブドリはみんなを船で帰してしまって、じぶんは一人

島に残りました。

 そしてその次の日、イーハトーブの人たちは、青ぞらが緑いろに濁り、日や月が

銅いろになったのを見ました。

 けれどもそれから三四日たちますと、気候はぐんぐん暖かくなってきて、その秋は

ほぼ普通の作柄になりました。そしてちょうど、このお話のはじまりのようになるはずの

たくさんのブドリのおとうさんやおかあさんは、たくさんのブドリやネリといっしょに、

その冬を暖かいたべものと、明るい薪で楽しく暮らすことができたのでした。

              ~「グスコーブドリの伝記より」~



 賢治の科学者としての先見性と、人々への暖かい眼差しに脱帽せざるをえません  


Posted by ジョバンニ at 16:02Comments(0)科学者としての宮沢賢治